受講生からのメッセージ(18) ★ロングインタビュー【外国のビザを取得するために】

今回は、外国のビザを取得するために必要な難易度の高いフランス語試験を通った生徒さんのインタビューを掲載します。
現地で通用するレベルの会話力を身につけるのは容易ではありませんが、コツコツと努力を積み上げた体験やその合格方法についてお話ししていただきました。インタビュアーとマルタン先生、そして生徒の佐藤さんに対話してもらったものです。少し長いですが、海外でのビザ取得や留学を考えている方はどうぞご一読ください。

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以下、インタビュアー(イ)、マルタン先生(マ)、佐藤さん(サ)


(イ)どうやって佐藤さんと知り合いましたか?

(マ)2013年10月のある日、佐藤さんからフランス語を勉強したいと言う問い合わせがありました。
その時すでに山梨大学病院で医師として15年前から勤めており、カナダのモントリオールにある病院で働くチャンスをもらったばかりでした。偶然なことに、22万人が住んでいる都市なのに、教室から歩いてすぐの場所に住んでいました!

 
(イ)佐藤さんとはどの様にフランス語の勉強を進めましたか?

(マ)まず初めに、読むことと書くことから始めました。読み方に関しては有名なメソッド・ボシェを使って音節も含めた読み方を勉強しました。日本人にとってフランス語の発音は非常に難しいと言うことを知っておかなければなりません。
日本人はヨーロッパの言語を2~3年で覚えることはほとんど不可能だとはっきり伝えておきます。
まずは漢字のシステムやものの考え方と表現のし方、最後に、日本語の文法はフランス語の文法ほど複雑ではありません。
(中学生くらいのレベルになるために)集中的に勉強しながら最低4~5年が必要です。
日本語を勉強したいフランス人にも同じことが言えます。まずは(小学校入学前レベルの)とても簡単な活用と文法に取り組み、数ヶ月後にブレードと呼ばれている文法の本を(小学生低学年レベルから)使い始めました。急がば回れという日本の諺の通りの進め方でした。
やがて2014年7月になり、予定されていたカナダへの移住の日が来ました。佐藤さんは自身の研究のためカナダに滞在したことがあったので、生活についてはよくご存知でした。ついに旅立ちの時が来て私は彼の成功を願いました。もしカナダで良い先生に出会うことが出来なかったら、私とスカイプでレッスンも出来ることを伝えました。


(イ)佐藤さん、どうしてカナダからマルタンさんにフランス語を教えてもらおうと思ったのですか?

(サ)実はカナダでフランス語のクラスに通ったり、個人レッスンも試したりしたのですが、マルタン先生ほどしっかりした授業をしてくれる先生はいなかったので、スカイプでの授業をお願いしました。


(イ)最初にカナダの病院で働き始めた時には、どんな大変な経験をしましたか?好きなようにフランス語で自分の考えを表現できず、言われているフランス語を理解できず、どんな気持ちだったでしょうか。フラストレーションなどは溜まっていましたか?

(サ)当時、英語も怪しかった状況で、フランス語しか話さない患者さんとコミュニケーションをとることはとてもストレスが溜まりました。毎日が不安だらけで生活していました。


(イ)どんな経緯でスカイプレッスンを始めましたか?

(マ)スカイプを使った授業が週一回のペースで再開されました。仕事をしながら慣れない環境の中で佐藤さんはストレスをフルに感じていたと思います。ある程度カナダでの生活や仕事に慣れて来た頃、自分の会話力のレベルアップを図る一方で、フランス語の試験を受けなくてはならなくなりました。
カナダでは専門職のライセンスを持っていたとしても、一定レベルのフランス語が出来なければ定住する許可がおりません。
しかも4年間の間に試験に合格しなければなりませんでした。


(イ)その試験について詳しく聞かせてください。

(サ)まずは選択形式の聞き取り問題、そして200字程度の作文、長文読解問題、最後に面接となります。各パート60%以上のスコアが必要で、点数が取れれば次回はそのパートは受けなくてもいいのですが、次のテストまで最低3ヶ月間は待たなければなりません。


(イ)試験は4つのパートに分かれていたんですね。60点以上を取るのはどうでしたか?また1回で受かるものでしたか?

(サ)どのパートも厳しかったのですが、特に面接に最後まで苦しめられ9回目でようやく受かりました。


(イ)面接試験に苦しんだのですね。その理由はなんだったのでしょうか?

(マ)2014年9月から2017年9月まで、仕事でフランス語を使いながらも間違いを同僚に直してもらうこともなく、家に帰れば日本人しかいないのでフランス語の会話にならない中でも、日々の学習を怠らなかったおかげで佐藤さんは着実に進歩していたと思います。
この試験は全部で4つの部分に分かれていて、この時すでに佐藤さんは3つまで合格していました。残るは口述試験のみです。
この試験は自分の科の仕事について(フランス語で!)会話をするというものだったので、彼には自信があり自分で準備が出来ると断言しました。
私はある程度その口述試験のフランス語の基本を直すだけで、彼には自由に文章を作ってもらいました。  


(イ)彼には自信があって全部自分で試験の対策をしていたのですね。その結果8回も口述の面接試験をパスできなかったと。
その後、どんな出来事がありましたか?

(マ)2017年9月にバカンスを利用して日本に帰国していた佐藤さんは、帰国前に受けた試験の結果を伝えに来てくれました。
試験を受けた時には絶対に大丈夫だと確信していたにも関わらず、残念ながら彼は50点しか取れていませんでした。
口述試験は何度でも受けられるけれど、100点満点に対して60点以上取れないと合格できません。再度、検討し直してまたスカイプで頑張りましょうと私は答えましたが、宇宙は別なプランを用意してくれた様です。
2018年1月に佐藤さんは長期休暇をとり、再び帰国していました。彼のお母さんの末期がんが悪化したためです。そんな中の1月末ごろに、佐藤さんが真っ青な顔をして私のところに訪ねて来て「先生、試験本部から手紙が来て試験の方法が変わりました!」と言いました。
2018年6月から試験方法が新しくなるため、6月までに口述試験をパスしないと、今まで合格していた3つのパートも無効になり、
また1からやり直さなければなりません。新たな試験の方法は非常に難しく、彼の今のレベルでは合格は難しく思われます。
私達には、3月または6月に行われる口述試験に合格する以外、選ぶ道はありませんでした。
今回の試験に合格できなかったら、新たな試験の合格は無理となり、カナダでの仕事は続けられず家族とともに日本へ帰国しなければなりません。大変なプレッシャーを感じて佐藤さんは落ち込んでいました。 


(イ)のんびりと試験対策をしている余裕が一切なくなったのですね。最後の試験に合格しなければ、今までの得点も全て失って働くことも出来なくなってしまう。本当に追い詰められたような厳しい状況になったということですね。

(マ)そうです。だけど、ポジティブな角度で物事を見ようと思いました。
日々お母さんの状態が悪くなり、その付き添いを献身的に続けながら、絶対に合格しなければならない試験勉強も継続する。
そんな厳しい状況でしたが、予期せず幸運だったのは家が近所だったことです。
次回の試験日である3月までの約2ヶ月間を、お互いに全力を尽くして合格しようと決めました。
佐藤さんは毎日私の元へ通い、1日数時間もの間試験勉強をしました。そこで私は彼のために戦略を立てたのです。 


(イ)なるほど、戦略を立てる必要があるとマルタン先生は考えたわけですね。
この口述試験を一緒に準備し始めた時に、佐藤さんが主張していた通り充分なレベルだったのでしょうか?

(マ)正直に言うと、それまではこの口述試験が佐藤さんにとってどれほど難しいものであったか想像していませんでした。
受験生に求められている最低限のレベルも少し甘く見ていたと思います。
出される試験の概要を見せてもらった時、西洋人であっても非常に難しいものだと知りました。
ですから、たった3年間しかフランス語を勉強していない日本人にとって、このレベルでの合格はほとんど無理だと思えました。
まだ簡単な文章しか作れない佐藤さんが作る会話文は、ほとんどすべて直す必要がありました。  
それほどビザを取るための試験は厳しいものだということでしょう。


(イ)戦略を立てる」とは具体的にどういうことですか?

(マ)事務所を訪ねて来た佐藤さんは、口述試験の内容を自分なりに書いてノートパソコンに持って来てくれました。
私はその文章を読んで選んだテーマやその内容、文法やその順序を見直しました。そうする中でなぜ、彼が8回受験しても50点以上を取れないのかが見えて来たのです。まずはヨーロッパ人なら普通に慣れている「口述試験の受け答え方」が出来る必要がありました。
そして難しい表現や言い回しを使わずシンプルな文章に仕上げること、そのための発音を完璧にすること。これらが課題だと考えました。
彼の話さなければならないテーマは医学についてだったので、発音しにくい単語がいっぱいありました。
そのため、どの専門用語が同じ意味でより発音しやすくなるか選ぶことが難しかったです。
日本語でなら医学のテーマの中で何についても優れた説明で答えられましたが、フランス語になると途端に怪しい文章を作り始めてしまいます。当然のことですが、一瞬で高い壁にぶつかってしまいました。
彼は自分自身のフランス語のレベルに合わない文章を無理矢理に作ろうとしていて、崖からパラシュートなしで飛び降りていたようなものでした。そのうえ、試験官の質問を確実に理解出来ていないのに、おおよその理解だけで答えようとしていました。
また、どことなく自分自身に対して自信を持てず、持ち前の良さも活かせていませんでした。
このような形で勉強を始めて2週間が経ち、目指していた地点にはなかなか到達できず、私は少し落ち込み始めました。
あまりにも気掛かりで、どうすればレベルを上げられるのかと悩むあまり、ある夜などは一晩中、医療についての夢を見たほどです。
今となっては笑い話ですが。
そして最終的に私たちが取った戦略は、試験官がするであろう質問を可能な限り書き出して備える、というものでした。
そのために医学についての基本的な事柄などを50時間ほどかけて考え抜きました。
戦術としては、自分から余計な発言をせず試験官の質問を限られた方向へ持ってゆくこと。
最後まできちんと説明できない文章を絶対に作らず、短い文章で的確に答えること、です。
どのような質問を試験官がしてくるか?一緒に考えて、それに答える文章も佐藤さんが発音できる単語で簡単に説明できるものにしました。このように答えたら、こういう質問が当然来ることを想像してテキストを作り暗記してもらったのです。
文章内で使われた冠詞は完璧に使いこなせるようにし、テキストの文章を間違えてしまったとしても、最終的に変更できるようにも訓練しました。    
彼には発音しにくい単語のリストも作りました。毎日30分は発音の練習を繰り返し、ひと月経ってもまだ発音できない単語は、
音節ごとに区切って呼吸を入れることで徐々に完璧になってゆきました。
ほぼテキストが仕上がって来た後は、発言中に出てしまう自信の無さを治すことです。前かがみになりがちな姿勢や口元に持って行く手は、どうしても不安や自信のない人という印象を与えしまいます。
佐藤さんの受け答えは、俳優のように計算された自然な動き方、答え方で試験官に気付かれず、自信のある有能な医師としてイメージを抱かせなければなりません。
この口述試験のやり方はヨーロッパでは当たり前だと思いますが、常に謙虚な日本人の気質として自信満々の演技をするのは大変だったかも知れません。演技を行いつつ、文章の中の単語がどんなに専門的であっても、また普通の単語であっても、必ず簡単明瞭に言えるように繰り返しました。


(イ)質問文の検討から文章の暗記、そして自分の内面にも踏み込んだり。それだけのことを短期間で覚えてゆくのには相当強い意志を持っていないと続けることが難しかったのではないかと思うのですが?

(マ)強い意志を持つだけではなく、小さな妥協も許されない状況でした。佐藤さんが演じる役は自信を持って仕事に取り組む有能な臨床医です。いつしか3月の初旬になっていましたが目標はまだ60%程度の達成でした。私は小さい頃から試験に臨むなら200%の準備をして行きなさいと教えられて育ちましたから、たとえ試験の時に風邪を引いてしまったり、時差で睡眠不足だったり、大渋滞にはまって焦ってしまっても大丈夫なように、佐藤さんにも同じ教えを伝えました。
もし、今回の試験を落としてしまったら…家族全員で帰国しなければいけません。
そんな不安もプレッシャーも乗り越えるために、細胞に染み込ませるように完璧に仕上げなければなりませんでした。
ゴールラインを外すことは出来ないのだから。


(イ)その結果、マルタン先生が望んでいたように、佐藤さんは無事200%の準備が出来たのでしょうか?

(マ)カナダに帰る前の最後の1週間で、どうにか私達は決めていた目標にたどり着いていました。この残りの1週間は少し肩の力を抜いて、改めて全ての内容を頭だけではなく体にも覚えさせる必要があります。ですから会話のテキストを全て印刷したファイルを作り、
それを持って近くの山へ散歩に行こうと誘いました。実は人の脳は森の中を歩いて良い空気を吸ったりする時に、アイデアが閃いたり、
何かを覚えたり思い出すためにもとても良いと知っていたからです。
木漏れ日の溢れる山道を歩いたり、雪をかぶった富士山を眺めながら行う口述試験のシミュレーションは、この2ヶ月間の集中的な勉強で疲れていた佐藤さんの頭だけではなく、心も癒すことになったのでした。
大自然のエネルギーを感じて、試験前に何か手応えを感じられたためか、暗記の勢いが増して受け答えの言葉も間違えずに、自信を持って説明できる様になっていました。
これで、準備は万全です!
3月初めに彼は自信を持ってカナダに帰りました。念のため試験前日にもスカイプレッスンで復習をしました。
そしていよいよ試験当日がやって来たのです。
カナダでもうこれから試験が始まる、という時刻に佐藤さんから電話がきました。時差ボケのなか不安も手伝って一晩中眠れなかったと。
誰にでもあることですが、試験前で強い緊張を感じていたのだと思います。
ですから、もう200%の準備を整えたし自分を信じて、出来るだけリラックスして頑張ってください、絶対に受かりますから!と言って励ましました。


(イ)佐藤さんは試験はどうでしたか?

(サ)とても緊張しており不安だったのですが、マルタン先生との特訓を思い出し、自信を持つように務めました。


(イ)口述試験はどんな感じでしたか?例えば、準備した通りの質問などはあったのでしょうか?

(サ)試験管は患者さんの目線で、私の病院での業務全般に対しての質問をしてきました。準備していた文章で対応出来ました。


(イ)前回の口述試験よりももっと余裕ができていましたか?

(サ)正直、不安感がとても強く余裕はなかったですが、レッスンでゆっくり自信を持って話しなさいと毎日注意されていたので余裕を持たせるように努めました。


(イ)佐藤さんの結果は?

(マ)佐藤さん自身が一番心配していたでしょうけれど、私も同じ様にドキドキしていました。
試験は過去で最高の100点満点中70点を取ることが出来ました!4つのパートをクリアできました。
本当に難関の試験でしたが、短期間で本当によく頑張ったと思います。二人で全力を尽くせて良かった。
私は佐藤さんを誇りに思っています。


(イ)佐藤さんは自分の先生の戦略につてどう思いましたか?

(サ)マルタン先生自身が日本語を完全にマスターしており、全く違う言語を学ぶことの苦しみを克服しているので全幅の信頼を置いていました。また基礎を大切にし、一つ一つ丁寧に積み上げていくやり方に共感を覚えました。


(イ)このような試験対策というのは非常にユニークですよね?山を歩きながら暗記をしたり、というのも。 

(サ)山を歩きながら大きな声でレッスンしたのはとても印象に残っています。またレッスン以外の時間に試験対策用のファイルを作って頂いたのも感銘しました。


(イ)なるほど、先生自身も影で色々なサポートをしていたのですね。
最後ですが、マルタン先生は佐藤さんが受けたフランス語の試験についてどう感じていらっしゃいますか?

(マ)私は日本に住んで20年以上になりますが、ここに来る前はパリの東洋言語大学で4年間日本語を必死に勉強しました。
そして山梨県庁の国際課で3年間仕事をしましたが、日本語を学び現地で暮らした7年間でも、まだまだ言葉をきちんと話すことが出来ませんでした。ですから、佐藤さんがどれくらい高いハードルを乗り越えたのかを容易に想像することが出来ます。
また、これは余談ですが、あのタイミングで佐藤さんがお母さんの看病のために日本へ帰って来て、私と約2か月間毎日直接試験対策が出来たことは、決して偶然ではなかっただろうと感じています。
きっとお母さんの“あなたはカナダで世界の医療のために貢献しなさい”というメッセージがあったのではないでしょうか? 
そして4月に合格通知が郵送されてきた日は、彼の誕生日だったそうです。佐藤さんは天国の母親からの最後のプレゼントだと言っていました。人生とは目に見えない力、タイミングが重なって動いているものですね。


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最後の短期間で佐藤さんがカナダの試験をパス出来たことは、もちろんご本人の努力が一番大きかったのですが、そこには目に見えない偶然と呼ばれる何かがあったのかも知れませんね。

まず日々の努力を怠らなかったこと、そしてその努力に対して自信を持つこと。

それが非常に大切なのだと感じました。

佐藤さん、マルタン先生、ありがとうございました。